1996年2月28日

破産会社(株)栄高破産管財人奥野善彦殿

                       アンバサダー横浜松見町管理組合

                      

      10月31日付け「ご回答」についての疑問と反論
             (預金者の認定学説について)

 貴職より、10月31日付けで「ご回答」(以下「回答」と略す)を頂きましたが、依然として、納得致しかねますので、再度疑問を呈したいと存じます。

1.預金者の認定の理論について

(1)学説との関係

釈迦に説法になりますが、論点を整理する意味で、預金者の認定の学説の基本について、改めて掲げることとします。

a.客観説:

自らの出捐によって、自己の預金とする意思で、銀行に対して、自らまたは使者・代理人を通じて預金契約をした者が預金者である。

b.主観説:

預入行為者が特に他人のために預金をする旨を明らかにしていない限り、預入行為者が預金者である。

c.折衷説:

原則として客観説によるが、預入行為者が、自己が預金者であると表示したときには、預入行為者が預金者となる。

 (平田浩「預金者の認定」、判例・先例金融取引法13頁)

この学説と松見町管理組合の預金の関係を照合すると、次の通りとなります。

a.客観説:

松見町管理組合が自ら管理組合員(区分所有者)から集めた原資(自らの出捐によって)を、修繕積立金・管理費として積立てるため、自己の預金とする意思で、銀行に対して、代理人(株)栄高を通じて預金契約をしたのであるから、松見町管理組合が預金者である。

 管理委託契約では、管理組合員(区分所有者)が松見町管理組合に対して管理費・修繕積立金を支払い、その預金を栄高が管理することとなっている。区分所有者が直接に栄高に支払うのではない。

 従って栄高に預金の処分権を付与した訳ではなく、預金を栄高が実質支配していたのとは全く異なる。あくまでも受託業務の範囲内での出納しか認められていないし、実際にそうであった。

b.主観説:

 預入行為者(栄高)が特に他人(松見町管理組合)のために預金をする旨を明らかにしていない限り、預入行為者(栄高)が預金者である、との説。

 「管理代行」と明示し、他人(松見町管理組合)のために預金をする旨を明らかにしており、預入行為者(栄高)が預金者にはならない。  

c.折衷説:

 原則として客観説によるが、預入行為者(栄高)が、自己が預金者であると表示したときには、預入行為者(栄高)が預金者となる、との説。

 主観説と同じで、栄高は「管理代行」と明示し、自己が預金者であると表示していない。

以上の通り、いずれの学説から見ても、松見町の場合、預金は争いの余地無く松見町管理組合に帰属すると考えられます。

(2)預金者の認定にかかる「回答」についての意見・疑問

@ 損害保険代理店の判例について、「回答」では「地裁段階の判例に過ぎない」としており、重視すべきでないとの考えのようですが、これはその後、高裁・最高裁で争われている事実はなく、これはこれで確定した判決・判例ではないのでしょうか?

また、この損害保険の判例の考え方の元となった、預金者の認定の「客観説」は最高裁で確定した判例として、支配的な意義乃至実質的な拘束力をもっているのではないでしょうか?

A 学説として、客観説に批判があるのは事実ですが、それは専ら銀行の実務上の保護の観点からの批判であり、今回の預金者が松見町(出捐者)か栄高(表見預金者)かという問題には直接関わりないことです。

 「回答」では「出捐者が誰かを巡って、学説上争いがあり、(中略)出捐者とは、一般的には「預金の実質的支配者」即ち、預金通帳及び印鑑を管理・支配し、その入出金につき裁量を有している者と理解されております」と述べています。

 しかしながら、本来、「出捐者」とは、あくまでもその預金の元になった原資金の出し手即ち真実の預金者のことであって、それ以上でも以下でもないと思われます。預金者が誰かの学説上の争いはあっても(上記3説)、出捐者が誰かを巡って、学説上争いがあるとは、知りませんでした。

 また、「回答」でいうところの、「預金通帳と印鑑を支配・管理している者が出捐者である」という「一般的な説」が、どの判例、どの文献に、どのような論拠で展開されているのか、預金法務の文献を渉猟しても見つけられませんでした。この2点について、文献が存在するのであれば、しかるべくご教示頂きたいと思います。

(なお、「預金通帳と印鑑を支配・管理している者を「預金者」とみなす」という説は、主観説として存在しますが、「主観説に基づき、金融機関にとって、預金者らしく見える者を預金者と認める立場は、判例によって明確に否定されている。(金融法務事情No.1433、29頁、前田庸「預金者の認定」」と述べられています。)

 客観説への批判は、銀行が表見預金者と真実の預金者である出捐者をどこまで正確に見分け・把握できて、誤りなく払戻し出来るかという銀行実務の観点からの批判です。

(注)表見預金者とは:名義人や現実に預入手続をとった者、あるいは現に預金証書や届出印章を所持する者など外見上預金者のように見える者(金融法務事情No.1299、4頁、鈴木正和(元協和銀行))

 しかし、客観説は、出捐者保護の観点に立ったものとして最高裁で確定しており、客観説に疑問を抱く学者・銀行法務関係者も、銀行の保護の問題(銀行実務の問題)を除いて、その考え方の大筋を、妥当なものとして受入れているのが実状であり、一般的であると思われます。

例1: 「トータルとして客観説がよいのではないか。ただ、客観説をあらゆる場面で貫徹しますと、取引の相手方になる銀行があまりにも不利益を被る場面が多くなる。そこで、出捐者を預金者として保護する一方、相手方である銀行の動的安全の保護との調整が必要となる。表見預金者論と客観説とを組み合わせてケース毎に妥当な判断を得られるようにすべきだ。」(金融法務事情No.1433、7〜8頁、石井眞司(第一勧銀顧問))

例2: 「「出捐者と表見代理者間の争い」であれば、裁判所として出捐の事実の確認、横領・貸借の事実の有無の確認の事実上の困難さはあっても、客観説のいうように出捐者を預金者とみることのほうが、結論として一般に妥当であるといえよう。」(金融法務事情No.1299、4〜9頁、鈴木正和(元協和銀行))

なお、鈴木正和氏が述べているように、本件の松見町と栄高との預金の帰属の問題は、銀行が介在しない、「出捐者と表見代理者間の直接の争い」であって、出捐者である松見町に帰属するとの結論が容易に出ることは明らかです。

B 「回答」では「金銭を使途を定めて預託した場合、当該金銭の所有権は占有者の受託者に帰属する」としていますが、栄高と松見町管理組合の管理委託契約は、金銭を預託している契約ではなく、特定の預金の出納管理を委託しているのであって、管理組合が栄高に対し、金銭を預託したとするのは甚だしい事実誤認であると考えます。

2.保険代理店の判例について

  「回答」の@〜Bの批判は、大西武士「預金者認定に関する客観説の限界」(金融法務事情No.1386、4頁)を引用されているものと思われます。

この論文をそのまま再引用して、問題点を探ると次のようになります。

@ X(保険会社)・A(代理店)間の代理店契約は、保険契約締結および保険料受取りに関する委任と代理に関する契約である。保険料は金銭であるから、占有と所有が結合しており、Aが保険料を受け取ってもその所有権はAに帰属し、Aはこの保険料をXに交付すべき義務を負担するのみであるから、預金の出捐者はAである。まして預金口座開設をAがXの代理人として行ったと解することはできない。本判決は「右預金は、Aの一般資産から振り替え入金されたものではあるが、その原資は保険料であって、実質的にはXが出捐したものと同視しうべきものであり」と苦しい理論を展開している。(以上大西論文)

 <当方の意見>

上述した通り、栄高と松見町管理組合との契約は、管理組合自らが修繕準備と管理のため積立てた「預金」の管理を委託する契約であって、「金銭」を預託し、授受する契約ではない。この損害保険の事例では、A代理店がユーザーから保険料を金銭で受け取って、一旦自らの預金にして、後に保険会社に引き渡す義務を負っていることから、大西教授は出捐者はA代理店であるとしている。松見町の場合はそもそも、金銭の所有権が占有とともに移転する民法理論とは元々無関係である。

A 出捐者Aの意思は自己の預金とするものである。Aはこの預金から一定の金額を引き出して、Xに送金したり、保険契約者に保険料を返戻したりする。この預金はXの 資産勘定には計上されず、Aの預り金あるいは仮受金勘定に計上されている。(以上大西論文)

 <当方の意見>

栄高が自己の預金とする意思であったとは認められない。もしそうだとすれば、管理代行名義にはしていなかったはず。実際、勘定は栄高の帳簿には計上されず、栄高の簿外の、区分経理の松見町管理組合の帳簿に計上されていた。

B 預金の出し入れには法律上および代理店契約上の制約があるが、その管理(通帳・届出印の管理)はいっさいAの権限下にある。(以上大西論文)

 <当方の意見>

 通帳・届出印の管理だけで、預金の帰属が決まらないのは言うまでもないことである。

大西教授は、この論文の最後に、「実務の道標」として、

 @ 客観説は基本的に出捐者の利益を保護しようとする。預金契約の相手方たる銀 
   行の主観は、預金認定にあたってはまったく意味を持たない。

 A銀行の与り知らぬ事由によって、………預金者が変更される。

 B銀行の利益は別途の理論構成によって保護される………云々

と述べており、銀行実務上の観点から客観説を批判していることが明らかです。

(ちなみに、大西教授は、東京都民銀行在職後、富山大を経て現在東海大に在籍されている経歴に見られるように、銀行の立場を代弁しての批判と考えられます。)

以上、見たように、大西論文に基づく貴職の批判は、松見町の預金に関しては当てはまらないことが明らかだと考えます。

損害保険の判例について、更に触れれば………、

このように状況的に多少問題のある損害保険の事例ですら、東京地裁は預金は委託者に帰属すると断定したのです。まして、状況的に全く問題のない松見町のケースが争いになるとは、到底考えられません。

3.建設省の通達について

  建設省の通達について、「回答」では、銀行担保設定を防止することに狙いがあって、預金者の認定についての実質的判断は、「司法府である、裁判所の判断に委ねられているものと思われる」と述べています。これは全く逆立ちした考えであって、建設省にとって、預金がマンション管理組合のものであることは、全く自明・当然のことであって、改めて言うまでもないことです。預金者の認定の判断を司法府に任せて、担保設定についてだけ留意しなさいという通達を出すとすれば、全くナンセンスではないでしょうか。初めに所有問題があり、しかる後に担保の問題があるのであって、逆ではありません。

 なお、建設省が通達で指導しているのは、松見町の管理委託契約書の雛形であり、松見町が従来から再三引用している、「標準管理委託契約」(預金名義は組合長または管理代行管理会社名義)を遵守しなさいということだけですので念のため。

4.松見町管理組合の預金と他の預金との異同

 上述の通り、松見町について、争いの余地はなく、直ちに調停申立を取り下げるべきです。まして、万一訴訟を提起するとしたら、訴訟権の乱用そのものであって、言語道断と言わざるを得ません。

5.銀行訴訟との整合性について

民法上は栄高のもので、刑事訴訟法上は栄高のものではないと言う意味でしょうか?

 不可解です。もっとわかりやすく明快に説明して下さい。

6.破産債権者を害すべき事実の不知について

   留保します。

7.本件調停により取り戻した預金について

 もとより当方の預金が栄高・財団に戻ることは、全く考えられないので、相手方として、意見の述べようがありません。

8.預金名義・契約一覧の提示要求について

  取戻した18マンションの預金のうち、組合長名義もしくは組合長印鑑の預金であって、栄高が保管し、実質的に出納・管理を行っていたものが、多数あるはずです。これらは、今回の否認権対象から除外されていると推察されます。しかし、貴職が「名義の如何を問わず、栄高が管理支配していた預金は栄高のもの」との主張を貫徹されるのであれば、栄高の管理・支配のもとにあったものは、たとえ組合長名義・組合長印鑑であっても、その預金は  組合には帰属せず、栄高に帰属することとなると思われ、それらを否認権対象から除外したのはまさに公平を欠くと思われます。それらの実態を明らかにするためにも、先に要求した一覧表の開示が不可欠と考えます。

<終わりに>

  今回の貴職の対応は「木を見て、森を見ない」のたとえそのものです。栄高が預金を管理していた(それも管理委託契約の受託業務の範囲内のことで、当然何ら問題となり得ない)、その1点だけを把えて、松見町に帰属する明白な証拠となる他の圧倒的な事実関係を無視して、栄高のものだと主張されるのは、明らかな事実の歪曲であり、法曹家として如何と思われます。白いハンカチにポツンと灰色のシミがあったのをとらえて、「このハンカチは黒い」と言っているようなものだと思われます。

このような、薄弱な理由・根拠で、3年以上にわたり、否認権だ、調停だ、訴訟だと、振り回されてきたことに、改めて憤りの念を禁じ得ません。